心と体

サヨナラの作業

人の命は、有限です。
ほんと、有限なんですね。

・・・当たり前のことだけれど、
失うと余計に痛感します。

先日、親友のおばあさまが亡くなりました。
本当に急なことで、
実感がないままに葬儀までの時間を過ごした感じ。

過去には私の写真展にもいらして頂き、
少し弱って来た足腰ながら、
会場に入るやいなや、
興味深く、しっかりとした目線を持って
写真ひとつひとつを丁寧に見て下さった姿が
今でもはっきりと思い出せます。

私の中のおばあさまの印象は
常に笑顔。
そしてポジティブ。
新しいことに、いつだって興味津々。
写真展にいらした時も、
知らない世界を知るって、なんて楽しいんでしょう!
そんな空気を惜しげもなく私に送って下さった。
それが、どれだけ私のパワーになったことか。

あの太陽のような笑顔を
もう見られなくなると思うと
それだけで涙が出る。

核家族だ、なんだと言われる現在、
親友の家族は本当におばあさまを愛していたし、
おばあさまの愛情を皆、しっかりと受けて成っていたといえる。
特に親友たち孫との関わりも深く、
とても濃密だったと思う。

これから、彼らは大変な作業に入らなければならない。
本当に、大変な、おばあさまとサヨナラする作業。

一番受け容れにくいのは
“いるべき場所に、いるべき人がいなくなった”ということだと思う。
これは特に、一緒に暮らした事がある場合、
本当に堪えること。
ただ、ひたすらに悲しみと向き合わなくちゃならない。

私は今、彼らにかける適切な言葉が見つからない。

家族を失った悲しみは、
失った家族にしかわからない。
それは当たり前のこと。
時間が経つにつれ
悲しみは波のようにひいては押し寄せて来るでしょう。
自分の日常のあらゆる場面で
喪失感が心を揺さぶるでしょう。

そんな彼らに“頑張って”とは言えない。
頑張らなくて、いい。
無理に笑わなくて、いい。

私が一緒に暮らしていた祖父を失った時、
浄土真宗のお坊様が言って下さった言葉。

“無理に悲しみを身体と心から剥がそうとしないで下さい”

少しずつ、少しずつ。
そう、私達家族に言いました。

その時は、漠然とこの言葉を聞きましたが
その後、あらゆる場面で
日常的に祖父のいない喪失感と遭うたびに
この言葉を思い出しました。
何度も、何度も思い出し
とことん、悲しみに暮れました。

そうして、時間をかけながら
サヨナラの作業をしていたのだと思います。
少しずつ、少しずつ。
悲しみを受容していったのだと
今では思うのです。

おばあさまは、スペシャルなグランマでした。
親友達、残された家族を
お空からどうか
見守って下さい。

最後に。
かけがえのない親友たちをこの世に誕生させてくれて
本当にありがとうございます。
非力ながら、
私は私なりに、彼らを支えて行きたいと思います。

お空では、
先に神様に愛された方々と
また笑顔で過ごして下さい。

お会いできて、幸せでした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)